吉田知那美のコラム Vol.28

Yoshida Chinami Column

嘘ついて大変なことになった話

私はナンパされたことがある。ちなみにこれは嘘ではない。これは、その時についた嘘でとんでもないことになりかけた話。


もう数年前のクリスマス時期の話。私はカナダから帰国し東京にいた。私はホリデーシーズンが大好きだ。街中のどこかしこから聞こえてくるクリスマスソングや、暖かなオレンジの光をまとう街路樹、普段から赤と緑っぽいのにもっと赤と緑で強調されたセブンイレブンの店内、それぞれに美しく飾られる高級ブティックの路面店舗。道ゆく人たちの手にはホリデー限定の紙カップ。東京は常に慌ただしく、そのせわしさについていけず疲れてしまうが、クリスマス時期はほんの少しだけこの大都会に暮らす人々の歩みの速度も何となくゆっくりな気がする。そしてその分かりやすい華やかさは、人口4,000人の町に生まれた私にはテレビの中の世界の光景に映る。カンチやリカもここに居たのかと大好きな東京ラブストーリーに思いを巡らす。


このホリデー期間はチーム活動もお休みのため、こういった時に一気に定期検診やメンテナンスを受ける。この時も人間ドックと皮膚科と美容室と眼鏡を作り直しに眼鏡屋さんに行った。師走なのでどこも混んでいた。でも待つのは好きなのでのんびり遂行した。しかもその日はディナーに行く予定にしていたので待ち遠しい気持ちも手伝い、るんるんで血を抜いてもらい、るんるんでシミを焼き取ってもらい、るんるんで↑↓→←を指差した。


その日の待ち合わせは、渋谷のハチ公前にした。これは私のたっての希望でここを待ち合わせ場所にしてもらった。田舎者でなおかつ待つ時間が好きな私は、「ハチ公前で待ち合わせ」に憧れがあった。予約してくれた焼き鳥屋さんも渋谷のお店だったこともあり、そこにしてもらった。


渋谷ハチ公前で待ち合わせという時間を楽しみたい私は約束の20分前には着いていた。せっかくのホリデーなので心残りがないようにオシャレもした。待ち合わせ前に行った美容室で髪の毛もツルツルにしてもらった。私は高揚してマスクをつけててもわかるくらいニコニコしていたと思う。白いフェイクファーのコートに白い手袋。その手に握りしめるiPhone。私は待ち合わせしている自分に酔っていた。


しかし、5分も経たずに私は、無知がゆえの大きな間違いを犯したことに気づきその酔いも覚める。それでなくても人口がキャパオーバーで床が抜けてしまいそうな東京の、しかも渋谷、しかもクリスマスのハチ公前はとんでもない人で溢れかえっていたのだ。そして、ここでこの事件を引き起こす大きな要因となるとある行為が渋谷ハチ公前を現場に起こっていた。


それは、クリスマス直前の渋谷ハチ公前ナンパだった。


欧米や北欧、その他多くの国ではクリスマスは家族と過ごすイベントである事はもう有名な話だが、日本ではクリスマスは恋人と過ごしたいと望む人々が多くいることもまた有名な話。ロコはクリスマスをカナダで過ごすこともあったし、ホリデーは1年に1回の一番長いシーズン中の休暇なので、日本で家族とゆっくり過ごせる貴重な時間という認識も強かった。だから「クリスマスを恋人と過ごしたい」という強いエネルギー溢れる人たちが、こんなにもいるということをちゃんとは知らなかった。多くがシャイな国民性はもう過去の日本人の形容なの?と驚くほど積極的に声をかけ続ける人たちに「知らない日本をみた」という気持ちでショックを受けた。否定や拒絶という感情ではなく、田舎者の私にはシンプルに驚愕の光景だったのだ。


そして私はこの日たくさんのナンパに遭った。モテたのではなく、ただそのナンパの渦に自ら足を踏み入れていたのだ。まだその異空間と初体験を記録する余裕があった時に声をかけてきてくれた人たちの特徴をメモした。

 

  1. 3人組、多分20代前半、『このあと合流しませんか(私が友達待ちだと思ってたから)』『夫と待ち合わせ』と言ったら『良いクリスマスを〜』って言って元気に去っていってまた声をかけてた。
  2. 単独、マスクつけてて顔は分からなかった、同世代くらい?黒いコート。痩せ型。とても丁寧な対応。『お一人ですか?』が第一声だったので『夫と待ち合わせです。』と伝えた。すみませんと会釈した。こういう雰囲気の方も声をかけたりするんだと意外だった。雰囲気はQuizKnockのふくらP。
  3. 元気な人とその友達。20代前半〜中盤。『可愛いですね!コート!』と声をかけてきた。一瞬でも顔だと思った私を恥じた。『夫と待ち合わせ』と伝えたら、『結婚してんスカ〜!いいっすね〜!風邪引かないように〜!』と言ってくれた。なんか気持ちの良いやつだった。
  4. 単独、多分年上の方。スリスリと無言で左側から近づいてきた。『一人ですか?』と聞いてきた。『夫と待ち合わせしてる』と言ったら無言で歩いてった。ちょっと怖かった。でも精一杯の勇気で声をかけてくれたのかも。


実はこの時すでにテキストを送っていたが、あまりにも混みすぎていてここが具体的にどこなのかを伝えるのに苦労していた。今思うと『お店待ち合わせにしてもいい?』とすぐに方向転換するべきだった。


そして最後のナンパで、私は自分自身を窮地に追い込むことになる。


最後の人のメモは書いてなかった。そんな余裕がなかったからだ。
その人は単独で声をかけてきた。20代前半に見えたその男性、いや、男の子という感じの軽快な雰囲気のその子は、第一声から『お姉さんめっちゃ可愛いっすね!!』と声をかけてくれた。『コートが!』とは言わなかった。初手に『可愛い』と言うのはナンパの常とう手法なのだと認識した。『ありがとうございます』と返事をすると『寒くないですか?待ち合わせですか?』と、こちらの体調を気遣いもしてくれた。小柄で痩せ型がわかるくらい薄着なのは男の子の方だったが、若いから大丈夫なんだろうか。そして私は今まで同様、同じセリフを言った。

 

『夫と待ち合わせです。』

 

そう伝えるとその男の子はこう言ったのだ。

 

『そうなんすね!じゃあ旦那さん着くまで俺一緒にいてあげますよ!!』

 

なんだそれ。思ってもいない返事に私はすぐに返事ができなかった。

 

『旦那さんに挨拶させてください!』

 

なんなんだそれ。ここで私はようやく『いや、大丈夫です。』と笑いもせず、真剣な話の声のトーンで言った。そうすると男の子はこう提案してきた。

 

『というか3人でご飯行きませんか?俺一緒に行きたいっす!』


どうなってるんだ。(今思い返すと彼はすでに酔っ払っていたのかもしれない。薄着で大丈夫だったのはお酒のせいだったのかもしれない。)私は今まで出会ったことのないタイプの人と、したことのない会話をして、極めて冷静にパニックになっていた。そして焦りだしていた。夫に助けを求めたい。だが、その夫は、どれだけ待ってもここに姿を見せることはないのだ。なぜなら夫はオーストリアにいるのだから。そう、私は大嘘をついていたのだ。


夫は来ない。あと数分でここに現れるのは夫ではない別の人。
この男の子に、いや、このハチ公前にいる人たちみんなに見つかって欲しくない人。


私が待ち合わせしていたのは、フィギュアスケーターの樋口新葉選手だったのだ。


一番はじめのナンパで、友達と待ち合わせしていると言うと、『一緒に合流しませんか?』という手法があることを知ったので、友達ではなく夫と待ち合わせしていると伝えたほうが、双方のやり取りの省略化になると思い、ずっとその嘘をついていたのだ。しかし、実際には夫は来ないので嘘がバレてしまう。夫でも粘るこの男の子の前で、友達の女の子が登場したら一体どうなるのか。季節はウインタースポーツのニュースが飛び交う冬真っ只中。来るのは樋口新葉。もし新葉だとバレてしまって迷惑かけたらどうしよう、とどんどん気持ちが焦っていく。私は一か八かで自分を追い込んだ嘘に、また新しい根も葉もない嘘を重ねた。


『フレンチの予約2人なの』
焼き鳥屋だと席の追加を提案してきそうだから、嘘くさいけれど、というか嘘なんだけどフレンチと言った。


『あ〜そうなんすか〜、じゃあ楽しんでください〜!旦那さんによろしくで〜す!』


季節外れの台風一過であった。

 

その直後、ちゃんとマスクをした新葉が時間通りに到着した。無事に守れてよかったと思った。いや、全部自分が蒔いた種だった。知らない土地に伺う時は文化や風習、ルールやマナーを調べるのは、世界各国を転戦する生活の中で意識してやってきたつもりだった。それがおごりであり慢心だった。国内でも、地域ごとに条例があり、文化があり、マナーもある。郷に暮らす人々がいて、そこにお邪魔するなら、調べて知る努力は現地の方への敬意でもある。東京にも東京の文化と風習がある。クリスマス時期のハチ公前も、私が知らなかっただけで暗黙のマッチング領域だったのかもしれない。この件でまた一つ経験し学ぶことができたが、事前に調べていれば変な嘘をつかなくても済んだ。という内省をほどほどにしながら、10歳年下の新葉が予約してくれた焼き鳥屋さんでご飯を食べた。いつ会っても素直で可愛い新葉に元気をもらう。最近あった事を一生懸命に話してくれる新葉に私もついいろんな話をする。そんな時間をいつも楽しみにしている。


ちなみに新葉は私のことを『ちーたん』と呼んでくれる。

この日もハチ公前についた新葉は、『ちーたん!』と駆け寄ってきてくれた。


なんか、『カーンチ!』みたいで嬉しかった。


これが私が一人で勝手に巻き起こし、勝手に窮地に追い込まれた、クリスマス時期の東京でラブを求める人々と交差したストーリーである。この話はいつかコラムに書きたかったけれど、何から伝えればいいのか分からないまま時は流れて、浮かんでは消えてゆくありふれた言葉をようやくまとめる事ができました。あの日あの時あの場所であの男の子に会えなかったら、私はいつまでもハチ公前の待ち合わせに憧れた、まま。だったかもしれない。

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