吉田知那美のコラム Vol.5

Yoshida Chinami Column VOL.5

宇宙人から電話が来た話

新年を迎えてから気づけば3ヶ月の月日が流れてしまいました。このコラムが上がるまでの間にロコ・ソラーレは1月にグランドスラム優勝、2月に日本カーリング選手権優勝と、大きな壁を二つ乗り越え最後に残すは3月18日からスウェーデンで開催される世界カーリング選手権となりました。
ロコ・ソラーレの戦績キャリアは世界的に見ても少し変わっています。チームとしてオリンピックには2度出場していますが世界選手権には過去一度しか出場していません。ちなみに世界で戦うカーリング選手の登竜門である世界ジュニアカーリング選手権に出場したことがあるのはさっちゃんのみで、琴美ちゃんは国内のジュニアの大会も1シーズンしかプレーしていないそうです。
勝率、ショット率、戦績統計、いつもデータから少しズレているロコ・ソラーレは先述したように今月7年ぶりとなる世界選手権に出場します。7年前の世界選手権を一緒にプレーした世界の選手たちのほとんどは現役を引退しました。しかし私たちはまた同じメンバーでその舞台に帰ってくるだけではなく、あの世界選手権では解説者だった琴美ちゃんは選手としてカムバックして挑みます。事実は小説より奇なりといいますが、琴美ちゃんのカーリング人生もパラレルワールドやタイムスリップなどSF話ではなく現実の話。琴美ちゃんの人生、小説より奇なりです。

©world curling federation

ところでSF話といえば、私は人生で一度だけ、宇宙人から電話が来たことがあります。
何を言ってるんだと思った方が多勢かと思いますが、しばしお付き合いください。
あれは忘れもしない、2021年2月中旬。寒さが一際厳しく、オホーツク海一面に流氷が接岸している頃でした。その世にも奇妙な出来事は、愛猫たちがめいめいに寝る準備をはじめた小夜のことでした。その宇宙人からの着信はその夜、合計3度ありました。1度目は見たこともない羅列の番号からの着信を不審がり、コールが止むまでじっと待ちました。2度目の着信はコールの長さが異様に長く、まるで緊急の用事があるかのような電話のような呼び出し方に不審というより疑問を感じはじめていました。「市外局番すら見たこともない羅列のこの番号は、知っている人からの着信なのか・・・?」「カナダの国番ではないからJDではない・・・」と、小夜中になにかを伝えようとしているような不審電話に心当たりはないかぐるぐると思い巡らせていました。すると1通のメールの受信通知がスマートフォンの画面に表示されました。そのメールのタイトルを見た瞬間にすべての点と点がつながりました。

題名:「野口です」

そう、その見たことのない羅列の番号は、宇宙(に出張中の日本)人こと、野口聡一さんからの着信でした。
野口さんとの出会いは2018年まで遡ります。2018年11月、さまざまなご縁とご縁がつながり東京大学先端科学技術センター熊谷晋一郎准教授の熊谷研究室で取り組まれている「当事者研究」に参加するきっかけをいただきました。「当事者研究」という言葉を初めて聞く方も多いと思いますが、「当事者研究」は北海道浦河町にある「浦河べてるの家」という社会福祉法人と浦河赤十字病院精神科とでスタートした取り組みです。従来、統合失調症等の精神障害で苦しむ患者さんや薬物依存症を抱える患者さんなどは、「患者」として「研究される」立場であることが常でした。幻聴や幻覚、心や体の不調に関する対処法も当事者である「患者」抜きで論じられ、いわばマウスのように実験対象となるところを、「患者」自身も自分の病気や症状、困りごとの「専門家」のひとりとして「自分を助ける方法」を一緒に論じ「自分自身を研究」するという取り組みです。
臨床の現場だけではなく、スポーツ界、学校、会社や家族間の問題など、本来、本人も他者にも「見えない心の奥底」の本当の弱さや不安をインタビューや自分を語るというプロセスを使い、客観的に見えるようにし、自分だけの問題から普遍的な問題として解決策を導きだす。
とても噛み砕き、はしょっての説明となりますがそんな取り組みが「当事者研究」です。
当時熊谷研究室の「当事者研究」チームには依存症を抱えていた経験がある方や、心に障害を抱えた方だけではなく宇宙飛行士、心理学者、メンタルトレーナー、言語学者、アスリート、医師などさまざまな分野の方が在籍しており、「燃え尽き症候群」「能力主義社会」「薬物依存」「精神障害」などさまざまなトピックスを「当事者研究」の立場から論じる「日常への帰還―アスリートと宇宙飛行士の当事者研究」というシンポジウムも開催されました。その熊谷研究室での「当事者研究」が野口さんとの初対面でした。

@東京大学先端科学技術センターでの当事者研究

当時の私はちょうど平昌オリンピック直後でした。日本カーリング史上初の快挙に喜びや達成感を感じると共に人生で経験したことのないさまざまな「生まれて初めて」の心境を経験していました。
(当時の当事者研究の様子はこちらから閲覧できます
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/articles/z0211_00004.html
研究室のメンバーとして、そして「当事者」として研究室の皆さんの力を借りながら、平昌オリンピック後に私の心の奥底で湧きあがるモヤモヤとした不安の背景やその対処法、自分を助ける言葉の処方箋などを研究していきました。その当時の私と今の私の心境は、あれから5年の月日を生きてきたので少し違います。その時の当事者研究時の私を「通過」し今の私があります。
野口さんや熊谷先生、上岡陽江さん(ダルク女性ハウス施設長)など多くの専門家の方々にサポートしていただき「当事者研究」を重ね、平昌オリンピック後の私の心の誤作動の根源が見えてきました。
その心の誤作動の根源の一つが、「スポーツという勝負の世界に身を置きながら、心の奥底で能力主義に怯え、拒否反応を起こしている。」ということです。白と黒、勝ちと負け、優と劣。スポーツは強さ、高さ、速さ、美しさを競い、戦い、お互いに高め合っていく世界です。スポーツを通し学ぶことはたくさんあります。しかしその当時2度のオリンピックを経験していた私の心の奥底に湧いていたのは「勝たない私には価値はないのか?」という能力主義がより色濃い世界に身を置く自分自身のアンディンティティが他者評価になってしまうという不安でした。弱点を治せない私は不出来なのか?みんなは出来ることが出来ないのは私の努力不足なのか。弱さは悪なのか。「アスリートは強くいなければいけない。弱さを見せないことが美学。」いつからか、そんな言葉や選手としての経験とが化学反応を起こし錆のように強くこびり付いた「弱さを見せてはいけない。」という考えが私の心の誤作動の原因の一つでした。

そのこびりついた心の錆を剥がしてくれたのが野口さんが話してくれたNASAでの宇宙飛行士訓練の経験でした。野口さんはスペースシャトル、ソユーズ、クルードラゴンと3つの方法で3度の宇宙飛行をしました。それぞれにクルーと言われるいわばチームメイトがいます。そう、宇宙飛行士もチームプレーなのです。スポーツチームは最終的に「優勝」を目指します。宇宙飛行士はさまざまなミッションの成功、そして「生きて地球に帰ること」を目指し訓練をしています。その目標達成のためのチームビルディングの一つにチーム全員で極限状態に身を置くという訓練があるそうです。そしてその訓練の目的というのが極限に置かれた時に現れる自分の弱さを知り、あらかじめチームに共有しておくことだそうです。
『宇宙飛行士のチームビルディングの過程でも、弱みをさらけ出すことが重要です。宇宙飛行士訓練は技量や知識を磨くだけでなく、チームワークの構築が大きな目標の一つですが、弱みや苦手なことを隠せば隠すほど、チームパフォーマンスは下がります。それぞれの弱点や強みを理解し、苦手なことは他の誰か得意な人に頼ることも大事なのです。ところが、宇宙飛行士は自分の弱みをさらけ出すことが苦手です(笑)』著者:野口聡一2020宇宙に行くことは地球を知ること「宇宙新時代」を生きる
宇宙飛行士はお互いに支え合わなければ「生きて帰る」というミッションの成功を達成できません。そのためのチームビルディングの過程に「弱さの情報公開」がある。世界をみてもその職に就くことが最も難しい、夢の職業の一つでもある宇宙飛行士にも弱さがあり、それを認めチームで共有するという成長過程があることを知った瞬間、私の心の錆がポロッと落ちた感覚がありました。その時に「当事者研究」には「弱さを治すのではなく活かす」そんな概念があることも知りました。それは麻里ちゃんがロコ・ソラーレ創設当初から言っている「弱さは個性なので潰さない。」「五人五色」という言葉に重なりました。
私は「当事者研究」の力を借り、心豊かにまた3度目のオリンピックを目指す決心をしました。そしてその当時、偶然にも野口さんも3度目の宇宙飛行を目指しで訓練に励んでいる最中でした。

JAXAにて野口聡一さん×ロコ・ソラーレ

前置きがとても長くなってしまいましたが、国際宇宙ステーションに出張中の日本人、野口さん(略して宇宙人)から電話が来た話です。実は電話の前日、ロコ・ソラーレは優勝すれば北京オリンピック最終予選日本代表に内定する大切な日本選手権決勝で負けていました。その結果を知っていた、そして一足先に「3度目」の夢を叶えた野口さんは、今にもどん底まで落ちていきそうな心を温かな言葉ですくい上げてくれました。その夜はとても寒く空気が澄み、空は満天。野口さんに泣いていることがバレないように涙声を隠し、夜空に向かって大きく手を振りました。
知那美「野口さ〜ん!今、手を振ってるの見えますか〜!!」
野口さん「お〜!見えてま〜す!今振り返してるよ〜!」
知那美「ところで野口さん今どこらへんを飛行してますか?」
野口さん「今、チリ上空です〜!」
野口さん、きっと手を振り返した相手は人違いです。そう思いながらひとり夜空の下でクスクスと笑っていました。

©anilmungalphotography

その翌シーズン、ロコ・ソラーレはユニフォームのデザインに「宇宙」柄を採用しました。実はもう一つ候補がありました。それは宇宙人野口さんがISSから撮って送ってくれた私たちが住むオホーツクの写真です。採用されなかった理由は、亮二さんの家がギリギリ写っていなかったからです。(笑)

ISSから見たオホーツクエリア©野口聡一さん撮影

あんなに悩み、悲しみ、もがき苦しんだ私の「弱さ」に、今は心の奥底から感謝しています。なぜなら、「弱さ」があったから野口さんの出会えた。「弱さ」がつないでくれた縁。そう思っています。
私は今、たくさんの人の力を借り個性豊かな大好きな人たちとカーリングをしています。このチームで勝ち続ける努力をしながら、勝ち負けのまたその一歩先にある、人としての魅力と個性そして生き方を見つけていきたいです。

ちなみに私は野口さんに出会ってからほとんどの著書を購入し拝読しています。野口さんの聡明で建設的で優しい言葉の処方箋がたくさん散りばめられているのでおすすめです。

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