吉田知那美のコラム Vol.4

Yoshida Chinami Column VOL.4

娘の試合を観にこない父の話

 書き出しが思いつかずとても唐突ですが、皆さんには宝物はありますか?今日はあえて「時間」や「思い出」という無形の宝物ではなく形ある「物」での宝物に限って思い浮かべてみてほしいのですが、みなさんはその宝物をどのようにして大切にしていますか?私は今年、一生大切にしたい宝物が増えました。それは、夫の祖母(群馬のおばあちゃん)が結婚後に譲ってくれた美しい緑色の宝石がついた指輪です。それはタンカーの船長だった夫の祖父が妻であるおばあちゃんにプレゼントした指輪で、おばあちゃんは「私が持ってるより、知那美ちゃんに使ってもらった方がおじいちゃんも喜ぶと思うから。」と今年の夏にプレゼントしてくれました。同時に「使いやすいようにネックレスなんかにリフォームしていいからね。」とも言ってくれました。私は夫の祖父に会ったことがないのですが、おばあちゃんや夫の母、夫、夫の叔父から聞く「おじいちゃん」の話が大好きで、おばあちゃんは「きょうちゃん(夫恭介)が知那美ちゃんとお付き合いしてるなんて知ったら、すぐにご近所中に言いに行っちゃったと思うわ。」などと、いつも笑いながらどんなおじいちゃんだったのかを楽しそうに話てくれます。その話を聞いていると私も写真の中のおじいちゃんに会ったことがあるような気持ちになります。そのおじいちゃんからおばあちゃんへの贈り物であり形見でもある指輪を、おじいちゃんが素敵だと思って選んだこのままの形で残しておくか、それとも現代でも身に付けやすい形にリフォームするか、ずっと「宝物を大切にする方法」を悩んでいます。どちらを選ぶにせよ、私もまだ見ぬ娘か孫娘に引き継げるように大切にしたいと思います。

 今日のコラムは「娘の試合を観にこない父」の話です。カーリングに精通している読者の方はもしかするとご存じの方もいるかと思いますが、吉田家はカーリング一家です。母は元日本代表、姉(現在松村家)は元日本ジュニア代表、姉の夫(松村家)はTM軽井沢で活動する現役カーラー、妹はご存じ現役日本代表でオリンピックメダリスト。父はというと昔からテニスと水泳を趣味で楽しんでいます。そんな父も若いときは喫茶店しゃべりたいのマスター※や友人たちと一緒にカーリングをしていたと聞いたこともありますが、私は人生で一度も父が氷上にいる姿を見たことはありません。それどころか、数年前まで地元でどんな大きな大会が開催されたとしてもカーリングリンクで観戦している父の姿を見たことがありませんでした。だからといって父が娘たちを応援していないかというと全くもってそうではなく、試合に勝って家に帰ると可愛いブーケを2つ持って待っててくれたり、遠征に行く時には未だにお小遣いを持たせてくれるような優しい父です。
 ここでこんな話を書くと両親に怒られてしまうかもしれませんが、私がまだ小学生だった頃は冬が来るとたまに夫婦喧嘩をしている両親をみていました。喧嘩の理由のほとんどは家庭と仕事とカーリングのバランスだったのではと思います。(父母、合ってますか?笑)当時母は現役のカーリング選手でもあり、私たちのチーム(ロビンズ)の練習をみたり、送り迎えや遠征時の保護者としての帯同もしてくれていたので一般の主婦の方よりも家をあけることが多かったと思います。逆に父の応援スタイルはその頃から、「金は出すけど口は出さない。」吉田家はそんなバランス型のサポートで娘たちにカーリングやその他の習い事など、幼少期からたくさんの経験をさせてくれました。今は夫婦喧嘩している両親を見ることはありませんが、父がカーリングリンクに応援に来ないことは私たち娘からするといたって「普通のこと」という認識でいました。しかし、そんな「普通のこと」が徐々に変化してきたのが2014年頃。父がたまに試合や練習を観にカーリングリンクに来るようになったのです。でもその試合は私たち娘の試合ではなく、姉の夫の試合です。2012年頃から姉の夫である松村雄太選手(TM軽井沢所属)は地元軽井沢を離れ、札幌を拠点とするチームで活動していました。2人が結婚したのを境に父はたまに雄太の試合や練習を観にカーリングリンクに来てくれるようになりました。それでもまだ、私たち娘の練習や試合は「ついで」のようで、北海道選手権や日本カーリング選手権など大きな大会があってもお家のテレビで応援するスタイルは変わりませんでした。

 

 さっちゃんがロコ・ソラーレに加入した2015―2016年シーズン。ロコは新体制で初めての「日本カーリング選手権大会(青森)」に出場しました。この大会で優勝したチームが日本代表として世界選手権に出場することができます。ロコは順調に勝ち上がり決勝戦へ進出することが決定したことを受け、地元北見市常呂町ではロコの応援のためADVICS常呂カーリングホールでパブリックビューイングを準備してくれることになりました。私たちの家族や友達、地元のカーリングチームやおじいちゃんあばあちゃんたちが応援観戦のためカーリングリンクに集まってくれました。私の母もそのパブリックビューイングで応援してくれていたのですが、そこにはもちろん父の姿はありません。父がその日どこで誰と何をしていたかというと、ロコの応援パブリックビューイングがあることを知った私と妹の親友が「ふーちゃん(母)はパブリックビューイングへ行くだろうけど、しゅーちゃん(父)はそういうところ行かないはずだから家でひとりなんじゃない?寂しいだろうからパブリックビューイングじゃなくて吉田家行こうか!」と言って、父がひとりでお留守番している吉田家に突撃して、一緒にロコの決勝戦を応援してくれていたのです。私の両親は私と妹の親友たちのことが大好きで、私たち娘と同じくらい親友たちの人生のさまざまな瞬間を一緒に喜んだり、悲しんだり、笑ったり泣いたり、たくさんの愛情を注ぎ見守っています。なので親友たちは私たちが不在でも両親と一緒にご飯に行ったり遊びに来てくれたりします。この時も私の親友と妹の親友と父の3人で仲良く応援してくれていたのですが、この観戦をきっかけに「なぜ父が娘の試合を観に行かないのか」が発覚することになります。私たちはこの大会、ロコ・ソラーレとして初めて日本カーリング選手権を優勝し、長く夢みていた日本一になりました。その瞬間、バブリックビューイング会場では選手の家族と地元のみなさんが大きな拍手と共に歓喜し一緒に喜び合ってくれていました。後日NHKのスポーツニュースでその瞬間の様子を見て、本当に愛情がたくさんの素敵な町で生まれ育ったなと改めて感じました。その頃一方吉田家では、私の親友と妹の親友が歓声をあげテレビに向かって私たちを祝福。そして今回のコラムの主役である「娘の試合を観にこない父」はというと、なんとキッチンで隠れて泣いていたのです。(笑)(笑ってごめんなさい)

 私は父が泣いている姿は片手で数えるくらいしか見たことがありません。父の親友が亡くなった時、家族が亡くなった時、飼っていた犬が亡くなった時。私は、父は悲しいという感情の時しか泣かない人だと思っていました。その話を親友から聞いたのは大会が終わって数日経った頃で、私の親友が「あの日、しゅーちゃんと一緒に吉田家で応援してたんだけど、知那美たちが優勝したらね、しゅーちゃん泣いちゃって!そしたら『俺ダメなんだ、娘たたちの試合見ると泣くから観に行けないんだ。知那美たちには言わんでな。』って言ってたの!!可愛いよね!!」

と、親友は父の「言わんでな。」のフリを芸人さんの教科書通りしっかりと活用し、私にその日のすべてを密告してくれました(笑)

優勝が決まったその日は、私の親友と妹の親友、そして両親の4人で本人たち不在の祝勝会を開催したそうです。

 「宝物をどのように大切にするか」が人それぞれ違うように、「大切な人をどのように大切にするか」もきっと人それぞれだと思います。私たちの母はいつも私たちのカーリングのそばに寄り添い、見守り、今日のこの日まで導いてくれました。父はいつも私たちから見えないところから見守り、幸せに過ごせるようにサポートし続けてくれました。愛情が見えてても隠されていても大切にしてもらった側はそれを感じ、愛情を学び、自分もいつか誰かに同じように返したいと思います。私も母にしてもらった献身を、父がしてくれた何も言わず見守るという姿勢を、夫のおじいちゃんがおばあちゃんにこれでもかというくらい大きな宝石がついた素敵な指輪を贈ったように、おばあちゃんがそれをずっと大切にしていたように、私も自分の家族やチーム、親友たちなど、「大切にしたい人たちをちゃんと大切にする方法」を、身の回りの人たちから学び身につけていきたいと思います。

 

 ちなみにですが、父はその後平昌オリンピックを観戦しに韓国まで来てくれました。両親が2人きりで海外旅行に行ったのは新婚旅行ぶりだったそうです。遠くまで来てくれてありがとう。また2人で観に来てもらえるように、娘はがんばろうと思います。

 

 

 

※喫茶店しゃべりたいのマスター/喫茶店しゃべりたいは北見市常呂町にあるカフェ。家族ぐるみで長くお付き合いがあり、故マスターは父の先輩であり親友でもありました。

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