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吉田知那美のコラム Vol.26
Yoshida Chinami Column
無財の七施の話
心理学を学ぶ上での必修科目に宗教があり、そこで仏教、キリスト教、イスラム教の世界三大宗教についても学んでいます。
世界で約4億人いると言われている仏教徒の一人でもある私ですが、「葬式仏教」とはよく言われたもので、私もまさに深い信仰心などなく過ごしてきた一人でした。
それが大学の授業を機に、信仰というより正しくは勉強としてですがお葬式以外で仏教の成り立ちや歴史、そしてその教えに向き合うこととなりました。
授業で学んだことの一つにあるのが今回のコラムのタイトルにある「無財の七施」です。大学生として勉強中の身であり研究者でもお坊さんでもないため多くを語ることは憚られるのですが、簡単に説明させてもらうと「無財の七施」とは仏教の教えの一つで、お金や財産がなくても、誰にでもできる7つのお布施のことです。お布施と聞くと葬儀や法要などで僧侶に渡す謝礼を思い浮かべるかと思います。私もそうでした。しかし本来は「執着を捨て、見返りを求めない他者への贈り物」というような意味があり、その行為のことをいうそうです。
財産や資産がなくともできる7つのお布施、無財の七施。
1. 眼施(げんせ)
優しいまなざしで人と接すること。
怒った目や冷たい目ではなく、温かく優しい目で相手を見守ること。目は口ほどにものを言う。
2. 和顔施(わがんせ)
笑顔で人に接すること。
「和顔悦色(わげんえつき)」とも言い、穏やかな表情はそれだけで周囲の心と場を明るくする。
3. 言辞施(ごんじせ)
優しい言葉を使うこと。
相手を励ます言葉を贈ること。叱る時も指摘する時も、相手を思いやった言葉を使うこと。
4. 身施(しんせ)
自分の体を使って人のために働くこと。
重い荷物を一人で抱えている人を手伝ったり、ほんの少し閉まりそうな扉を開けて待ってあげたり、見返りを求めずほんの少し相手を思いやった行動を起こすこと。
5. 心施(しんせ)
相手の心の痛みに寄り添い、思いやりの心を持つこと。
「心から共に喜ぶ」「悲しみに寄り添う」など、目には見えないけれど、最も根本となる心の贈り物。
6. 床座施(しょうざせ)
席や場所を譲ることです。
電車で席を譲ったり、自分が持っている良いポジションを他人に提供したり、良い場所は独占せずに循環させるという譲り合う心を持つこと。
7. 房舎施(ぼうしゃせ)
雨風をしのぐ場所や、憩いの場を提供すること。
昔は旅人や困っている人に一夜の宿を貸すことを指しましたが、現代では「人が心落ち着く空間を提供する」「自分の家や敷地を困っている人に貸す」といった意味もある。
これらを「してやったんだ」「だからあなたもそうすべき」などといった見返りや執着の心ではなく、「こう生きることが私が今世でやってみたかった生き方だから。」それくらいの気持ちで「無財の七施」を実生活に少しずつ取り込んでいこうと思い始めて早2年。
これがとても難しいのなんの。疲れてると口角は下がってるし、夫に対してそんな言い方しなくても伝わったのにと反省したり、夫に重たい荷物を持ってもらってばかりで自分で何も運んでなかったり、友人の家に泊まらせてもらうばかりだったり。なんだか落ち込んでしまうほどに。ただ、きっとそれはあたり前で、悟りを開いたわけでもなく、まだ学習中の身です。でも少しずつ実践を意識していくと実感として、ほんの小さな出来事でも無財の七施の施しを実践できた時は、今までの自分より少しだけ自分のことを好きになれたり。なんだか今までより「生きやすい」と思う場面が増えていくように感じています。
私が勝手に人生のメンターとしている宇宙飛行士の野口聡一さん。野口さんはJAXAでの退職記者会見でとある言葉を引用しその心を世界に伝えました。それは中国春秋時代の哲学者、老子の「功成り名遂げて身退くは天の道なり」という一説です。
「その場所で成功をしたのならば、すみやかに身を引き地位を退くことが、自然の理にかなった賢い生き方である」という意味のこの一説。
人生で最も重要であり、最も難しいとされる「引き際」。私は、その瞬間を見誤らない力をつけたい、とずっと思ってきました。そんな時に、幾度となく読んだ野口さんの著書や、大学の授業で学んでいる仏教、そして野口さんの退職記者会見。引き際を自分自身で判断できる力は「成功を自己評価できる力」が必要である、と感じるようになりました。同時に年齢が上がったからという理由で身を引く事が正しい行いではないとも思うようになりました。「成功した」と自分自身が評価できること、納得できていることこそが大切なのだとも感じました。(必ずしも自分のタイミングを選択できる訳ではないのがスポーツの世界ですが)
自分自身だけの「勝利」や「名誉」に執着しすぎない生き方をしたい、そう思った時に背中を押してくれたのが、6つ目のお布施「床座施」でした。
6. 床座施(しょうざせ)席や場所を譲ることです。
電車で席を譲ったり、自分が持っている良いポジションを他人に提供したり、良い場所は独占せずに循環させるという譲り合う心を持つこと。
私は人生で初めて、他者にお願いされてカーリングプロリーグ、ロックリーグの「キャプテン」という場所に身を置くことになりました。私は人生で一度もリーダーやキャプテン、生徒会長や学級委員長も含め、そういう類のポジションについたことがありません。自分にはそういうポジションは向いてないと思っていますし、なりたいと思ったこともありません。なんなら正直、興味もありません。だから「キャプテンになってほしい」と言われた時、はじめは「私じゃない誰かを提案できないかな?」と考えました。でも、JDと何度も話を重ねるうちに「誰かにお願いされて引き受けるカーリングは、きっと私のカーリング人生最後かもしれない。」
そう考えるようになり、最後は「やってみたい。」という自発的な気持ちを持って引き受けることができました。そして引き受けたからには、なるべく多くのものをここに残し、見返りを求めずできる限りの働きをし、そして来るべき時がきたらまたその地位や場所を譲ること。そう考えています。
ロコ・ソラーレ退団は長い時間をかけて考えた私なりの「床座施」。
ロックリーグ(プロカーリングリーグ)のキャプテンは、私なりの「身施」。
来シーズン以降、そしてこれからの人生、どんな場所でどんなふうにカーリングをするのか、はたまたどんなお仕事に挑戦するのかはまだ未確定です。でも、私はこれまでのカーリング人生でたくさんの先人、先輩方に手を差し伸べてもらい助けてもらってきました。フジミキコーチや、歩ちゃんと弓枝ちゃん、麻里ちゃんに、そしてJDに。だから、「自分のカーリング人生が良いものだったからそれでいい。」では、なんだかとても違和感があり、私もしてきてもらったこと、学んだこと、経験してきことを必要とする人たちに返していく事が最後にできることかなと思っています。
いつ何時も心にはいつも無財の七施をしのばせて。怒った顔を夫に向けてしまう時もあるかもしれない、言葉を投げ捨ててしまう時もあるかもしれない、成功に執着してしまう時も、エレベーターの開くを押し続けてあげられない時もあるかもしれない。お母さんいつもおかえりと実家で待っていてくれてありがとう。「私ってやつは」と思う事もある。よくある。でも、いつでも無財の七施に戻れるように。

