吉田知那美のコラム Vol.20

Yoshida Chinami Column

引退の話

先月、ノルディック複合の競技者であり、トリノ五輪から5大会連続でオリンピックに出場し続けている名実ともに「日本代表」のアスリート、渡部暁斗選手が今シーズンでの引退を表明しました。
「一つの時代の幕が降りる。」
長く日本代表として、冬の顔の一人として、着実に日本のスポーツ史に新しい歴史を刻み続けた渡部選手の引退発表に、そう感じた人は少なくないと思います。私も、そう感じた一人でした。

私が勝手に人生のメンターのように思っている一人に野口聡一宇宙飛行士がいます。野口さんが長年勤めたJAXAを退職する際の記者会見で話されていた、「引退を決断するきっかけとなった言葉」というのが、中国春秋時代の哲学者「老子」の言葉でした。


「功成り名遂げて身退くは天の道なり」
一つのことを成し遂げたら、後身のために身を引いていくのが正しい生き方である。

野口さんは当時日本人宇宙飛行士として初のソユーズ、スペースシャトル、スペースXの3種の宇宙船で3度の宇宙飛行を成し遂げ、26年間勤めたJAXAを退職しました。
日本人がこんなにも「宇宙」という話題が身近に感じられているのは、野口さんが残した偉大な実績の一つだということは疑いようがありません。同時に私は、一人のプロフェッショナルがどの様な経験を経て、その経験をどうとらえて、どんな苦労をして、最後に「居場所」とも呼べるような場所から定年前に自ら退く決断に至ったのか、その決断までのプロセスを著書にまとめてくれたことも、宇宙飛行士ではない多くの人々にも届くプレゼントだと思いました。
記者会見で語られた言葉の一つ一つに前向きなエネルギーがあり、「舞台を降りる」のではなく「舞台を移る」というような、寂しさよりも聞いているとどんどんとわくわくしてくる、不思議な退職会見でした。

渡部暁斗選手の引退発表にも、一人の歌人の言葉が添えられていました。


「花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。」
この一節は吉田兼好が書いたとされる「徒然草」の第百三十七段で謳われています。

「花は満開の時だけを、月は満月の時だけが、見るに値するかといえばまったくそうではない。」

全1725字からなる「花は盛りに」に触れ、「引退」という決断に自然と心が向いたのだと思うと書かれていました。

暁斗さんが書かれた引退発表の言葉を読み、私も徒然草を読んでみたいと思いネットで購入し、中学生ぶりの徒然草を拝読しました。
「花は盛りに」の一節目では、花や月の美しさは満開、満月の時だけでなく、雨降る日の雲の影から煌々と光る月だって美しく、室内から今どれくらい花は咲いてるのかなと想うことにも趣がある。咲きそうもない梢や、花が散った庭など、不完全なものの中にこそ美しさや趣がある。という、美しさは単一性ではないことが謳われています。
そして、はじめて、いや、多分はじめて読んだ二節目。


「よろづのことも、始め・終わりこそをかしけれ。」
「どんなことも、盛りの時よりも、始めと終わりにこそ物事は趣きがある。」

この節では男女の恋仲に例え謳われていますが、私はこの節を読んで引退したアスリートの皆さんのことが浮かびました。
誰にでも全盛期があり、それはもう美しく輝かしい瞬間です。でも、それは全人類に共通して「いつか、終わる」、諸行無常であり儚い一瞬の出来事です。
その事実に真摯に向き合い、選手としてだけではなく人としての真価を問うアスリートたちの「最後のシーズン」は総じて、背中を追う私たち後輩アスリートの心を強く動かす瞬間でした。


終わりを決める人も、決めない人も、自分の決断の人も、戦力外だった人も、怪我で突然終わった人も、体力の限界まで戦い続けた千代の富士も。よろづのことも、始め・終わりこそをかしけれ。


暁斗さんの最後のシーズン、暁斗さんにしか咲かせられない深い趣のある美しい花が真っ白な雪の中に咲きますようにと、勝手にその瞬間を楽しみに今年もまた家族みんなで応援しています。

ちなみに、野沢温泉村や飯山市など奥信州エリアで咲く菜の花が、花盛りを終えたあとどうなるかみなさんご存知でしょうか?


野沢菜なんです!


知っていました?私はお嫁に行ってから知りました。ちなみのちなみに、野沢菜の葉を収穫し残した蕪が越冬し、雪解けの頃に出てくる新芽のことを「とうたち菜」といい、これも結婚して野沢温泉村で暮らすようになってから知った山菜でした。
甘味が強く、ほんのりとした苦味がいいアクセントで、お浸しにして食べるとその味わいをダイレクトに感じられます。


菜の花は盛りに、かく季節移ろい野沢菜を味わう。さらに時移りてとうたち菜の芽吹きを悦びけり。奥信州の菜の花は始めも終わりもいとをかし。

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