吉田知那美のコラム Vol.15

Yoshida Chinami Column VOL.15

遺言の話

80歳くらいまでは元気に生きてくれるものだとなんとなく思っていた父が、66歳という若さでこの世を去ってから早2ヶ月。私は今なんとなく母と4匹の愛猫たちのそばにいたくて実家で生活をしています。
12月にカナダから帰国してからの私の生活は朝5時頃、時差ぼけのため日の出前に起床します。(2月現在時差ぼけは治り5時起き期間は終了しております)

ちょうど同じ頃に4匹の猫たちが腹をすかせ母と私の寝室がある2階に集まりだします。先陣を切り人間を起こしに寝室に特攻するのは一番の食いしん坊のマルです。マルのまん丸でもふもふの頭で何度も頭突きをくらわせてくれるので、根気負けし起床します。

5時15分頃、猫たちそれぞれに朝ごはんを配膳します。

それが終わると朝のコーヒーを淹れます。吉田家ではコーヒーを淹れるのは父の役割でした。でも今は母と私で試行錯誤でコーヒーを淹れています。

コーヒー豆をミルで挽き、ペーパーフィルターに移し、父がやっていたようにお湯を落としていきますが私が淹れるコーヒーは毎回不安定。苦かったり薄かったりするそのコーヒーを父のいるお仏壇へ持っていき、ろうそくにマッチで火を灯しお線香をあげます。

「ちち、おはよ。今日のコーヒーは激苦です。」

とリンを鳴らし手を合わせ今日のコーヒーの味を報告します。

その後、父のスマートフォンで父が好きだった音楽をプレイリストにしたものを流します。マーヴィンゲイ、スティーヴィーワンダー、ビリージョエル、スティング。小さい頃から我が家で流れるお馴染みの曲を流しながら、遺影になってしまった父と対面しながら私もコーヒーを一杯いただきます。

そうこうしているとご飯を食べ終わった猫たちがちらほらと父に挨拶しに仏間を訪れるので、猫たちの次なるご要望にお応えしリビングの暖炉に薪を入れ火をつけます。

冬の朝の暖炉の火入れも父の役割でした。今は猫たちの「あの~まだ火付かないの?」という視線を感じながら不慣れながらに暖炉に火を灯せるようになりました。

こうして生活しているだけでも、朝から父が当たり前にしてくれていた家仕事、猫仕事がたくさんあったことに気づきます。

ちち、毎日ちゃんとお礼言ってなくてごめんね、ありがとう。

そんな生活を送っていたクリスマスの3日前のこと。

いつもの朝のように父にコーヒーを淹れ、スマートフォンで音楽をかけようとしたとき、ふと「そういえば、ちちの携帯の写真フォルダってどんな写真が残っているんだろう?」と思い、父に失礼しますの気持ちでリンを一つ鳴らしてからフォルダを開きました。

「153」

フォルダに残っていた写真と動画はたった「153枚」でした。

写真フォルダをスクロールしていくと、一番最近撮られた写真と動画が見覚えのない景色だということに気がつきました。

その写真をタッチしてみるとそれは父が最初に入院した病院の病室の写真と映像でした。病気の影響で両目ともほとんど視界を失っていたはずなのに、何枚も同じような写真と映像を撮っていた父。一体何を残そうとしていたんだろうと、写真を見ながら考えました。

父が病室で撮った動画の一つにその答えがありました。

その動画には、視界も悪く手もうまく動かせずカメラの操作が思うようにできない自分に言い聞かせるように「だいじょうぶだ・・・」と小さく呟き、そばでパソコン仕事をしている看護師さんに振り絞るような消えそうな声で「とって・・撮って・・」と自分を撮影して欲しいと訴えている父の姿が残っていました。映像はそこまでで終わっていました。

父が残した153枚の写真フォルダの最後は「失敗した遺言」だったのでした。

遺言を失敗しちゃうなんてとっても父らしく笑えちゃうのと同時に、目が見えない中で一生懸命に動画で言葉を残そうとしてくれた父らしくない姿に胸がはち切れそうになりました。3日後もし私にもサンタクロースが来てくれるならこの動画の続きをプレゼントしてほしい。絶対に叶わない強い願いをどう整理をしたらいいか分からず涙が止まりませんでした。

父が亡くなってから気がついた大きな勘違いがあります。
それは、亡くなる時に大切な人や愛する人に「ありがとう」や「愛してるよ」と伝えたり、「幸せな人生だったな」と自分の人生を振り返ったり走馬灯を見たりすることはすべての人が叶う訳ではない最期だということです。
ドラマや映画では当たり前の演出でも、現実世界でそのような最期を迎えられるのは少なからず自分の最期が予期できて、予後がよく、意識があり、言葉を残す力が残っている場合に叶う最期なのです。
死は親から子への最後の教えという言葉があります。私が父から学んだことは、この世の全ての生き物は絶対にそして平等に死というお別れを迎えること。それが明日かもしれない可能性が常にあるということ。そして、命が絶える1秒前まで言葉が残せる訳ではないこと。

父の死をきっかけに、私はまるでドラマや映画のベタなストーリーのように「もし明日死ぬかもしれないと仮定した場合、今日どう生きよう」と考えるようになりました。

訪れる死をコントロールできない場合、私に今できることはなんなのか。思いついた現段階での私なりの後悔最小限策は、

どんな一日であっても「それでも今日は幸せだった」と楽しかったことと面白かったことに注力する

離れて暮らすことの多い夫に毎日必ず「愛してるよ」と、大切な存在だという気持ちをしつこいくらい伝える
猫をたくさん撫でて喉をゴロゴロいわせる
できるだけお母さんと一緒にご飯を食べる
毎日の練習後に「今日もまた成長できた~!」と達成感を感じるよう目標と目的をはっきりさせ楽しいムードで元気に練習する
美しいと思った瞬間、楽しいと思った瞬間の写真や動画をできるだけ撮る
遺す人たちに「知那美は幸せな人生だったと満足して旅立った」と心から安心してもらえる言葉を残しておくこと。

この7つでした。

私には公式で行っているSNSが2つ存在します。2022年からスタートしたこのコラムと2014年からつけている日記のようなインスタグラム。この2つの媒体は私にとっては言葉を残す場所、つまりこれって私の遺書なのかもしれないと考えるようになりました。

「なんて大袈裟な」と思うかもしれませんが、手帳に日記をつけたり、エンディングノートを作ったり、定期的に遺書を書いたりなどもちろんしていないので、もし今日、私が亡くなった場合遺された人が頼りにするのはきっとこのコラムとインスタグラムなのです。

不特定多数の方にみてもらうコラムと、今はたくさんの方にフォローしてもらっているインスタグラム。特にインスタグラムに関しては使用方法や投稿内容などずっと自分自身も納得のいく答えを出せずに迷いながら活用してきました。しかし、それを「遺書」と思って改めて見返した時、家族と過ごす楽しくてかけがえのない記憶の記録、夫と一緒にトライ&エラーを繰り返しながら夫婦関係を作り上げる過程の成長期、そして私の人生の宝物であるロコ・ソラーレという仲間との奇想天外な現在進行形のドキュメンタリー。

なんだかとても私らしくて、けっこう良い遺書コラムと遺書スタグラムじゃん!と思うようになったのでした。

私はこのコラムをスタートするときに「ヘタでもいいから飾らない自分の言葉で自分の気持ちを書くこと。」それだけはルールとして決めていました。

これは今もこれからも変えません。

2025年2月13日木曜日~JAL564便にて空の上より~

私は父とお母さんの子に生まれてこれて、なっちゃん(姉)とゆり(妹)の間に挟まった三姉妹の次女になれて最高に幸せです。

優しすぎる義兄と大きすぎる義弟もできて嬉しい。

4匹の個性的で自由気ままな猫たちが可愛くて宝物。驚くほど長生きしてほしい。

この世で一番格好良くてアルペンスキーに真っ直ぐな情熱で向き合い素直で愛情深い少年のような素敵な人の妻でいれて最高に幸せです。夫の家族もみんな揃いも揃って心から優しくて愛おしくてそんな家族の一員になれて心から感謝しています。

何度負けても何度失敗しても誰のせいにもせず、何度も笑顔で立ち上がるロコソラーレという最高のチームに出会えて私の人生はとても豊かで味わい深く幸せです。

そして、飾らぬ言葉ついでにですが

日本カーリング選手権横浜2025、3位。ものすごく悔しい!!!!!負けたことではなく、自分自身に対してです。

でも、この負けがあるから自分史上最高の努力を更新してやるんだという強いモチベーションを得ることができました。行動や意識を変えたいと思うほどの経験、それは選手としてとても貴重でお金で買えない財産のような失敗であることを私は知っています。

つまり今日の私も、全部ひっくるめてとても幸せです!

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