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吉田知那美のコラム Vol.12
Yoshida Chinami Column VOL.12
名前の話
私の名前は吉田知那美。吉田家の次女です。
でも、実は戸籍上では私は吉田家の三女なのです。
私が生まれる2年前、吉田家に美人で可愛い女の子が誕生しました。
名前は吉田ひかる。ひかるちゃんは心臓の病気を患っており、生後数ヶ月の時に天国へ旅立ちました。その悲しみを乗り越えた両親が授かったのが私と四女の夕梨花でした。
長女の菜津季、次女のひかる、三女の知那美は父が名づけました。
みんな3文字という共通点はありますがそれぞれ音感は違うので呼び間違いもなく、それぞれに響きが美しい名前です。
四女の夕梨花だけは母が考えて名づけました。
正しくいうと、母が名づけ直しました。
吉田家の四女として7月7日の七夕の日に、白くてまんまるでむちむちの可愛い女の子が誕生しました。父はもちろん、それはそれは一生懸命に名前を考えたそうです。すでに3人の女の子に名前を授けてくれていた父ですが一生懸命に考え、考え、考え抜いて母に提案してきた名前が、
「夕子(仮)」と書いて「バタコ(仮)」
由来(仮)は七夕に生まれたから。それ以上でもそれ以下でもない由来です。
「バタコ(仮)」が生まれた当時、キラキラネームという概念が無い時代でしたが、もし、この名前で出生届を出していた場合、北海道オホーツクエリア初のキラキラネーム、いや、シブシブネームが誕生し、北見市常呂町の我が家はきっとかげで「パン工場」と呼ばれる未来が待っていたことが想像できます。
きっとそんな未来が見えた母が考えた名前が「夕梨花」でした。
「花」という字を使いたかったという母は、バタコからもちゃんと一字とって、「夕梨花」と可憐で優しい名前をつけました。
菜津季、ひかる、知那美、夕梨花。
両親からもらった一番最初の贈り物である大切な名前です。32 年経った今もとっても気に入っています。
ロコソラーレに加入してからは、吉田知那美と吉田夕梨花がいるため、メディアの皆さんにも、ファンの皆さんにも、海外の選手たちにも「知那美ちゃん」「夕梨花ちゃん」と、下の名前をたくさん呼んでもらうようになったこともとても嬉しかったです。
私の名前は吉田知那美です。吉田家の三女で、父と母が一生懸命に育ててくれた娘のひとりです。
素敵な名前でとても気に入っているので、ぜひ「知那美」「知那美ちゃん」「知那美さん」など、下の名前で呼んでください。
追伸、我が家には4 匹の猫たちが暮らしています。
一番はじめに迎えた保護猫のにゃんにゃん。名前の由来は名前の通り、ねこだからにゃんにゃんです。(記憶では父命名)
その次に迎えたのはスコティッシュのまる。名前の由来は名前の通り、まるいからまるです。(記憶では母命名)
3 匹目は甘えん坊のめざしちゃん。名前の由来は名前の通り、魚のめざしみたいな色なのでめざしです。(父命名)
そして最後の保護ねこ道端いーちゃん。名前の由来は道端でカラスに突かれていたのと、にゃーと鳴けず「イ〜」と泣いていたので道端いーちゃんです。(私と母命名)
両親ともに、夕梨花以降は名付けスランプ中です。