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吉田知那美のコラム Vol.6
Yoshida Chinami Column VOL.5
亮二さんがカナダの日本居酒屋で号泣した話
今回のコラムの主人公は、タイトル通りの小野寺亮二コーチ。農家兼一般社団法人ロコ・ソラーレのコーチであり、わたしたちロコの父的存在でもあります。
わたしが亮二さんの存在を初めて認識したのは約20年ほど前、中学1年生の時です。この年、わたしと夕湖が所属している「ロビンズ」というチームに、亮二さんの娘である小野寺佳歩選手(現フォルティウス所属)をチームに誘ったことがきっかけです。佳歩が加入したことで亮二さんがロビンズの練習を見てくれるようになり、そのままロビンズのコーチを引き受けてくれることになりました。その当時の亮二さんの愛称は「ボス」。「ビッグボス」ではなくただの「ボス」。イントネーションは「BOSS」ではなく「ぼす」という気の抜けた感じでした。このボスとの出会いから一年後の2006年2月に、結成したばかりの新生「ロビンズ」はその年初出場を果たした日本カーリング選手権で銅メダルを獲得。当時チーム全員が常呂中学校の2年生。平均年齢14歳での日本カーリング選手権の表彰台という記録は17年経った今も塗り替えられておらず、今もひっそりと更新の時を待っています。
現在ロコ・ソラーレは亮二さんと皆さんもよくご存知のカナダ出身で現在ロコ・ソラーレ所属のJDとのダブルコーチ体制です。どちらかがヘッドコーチでどちらかがアシスタントコーチ、という形ではなく両コーチともにイコール状態のコーチ体制をとっています。このコーチング体制が良いとか悪いとかではなく、単に2人にとも組織の「役職」や「肩書き」に興味も執着もなく、2人にとってこの状況がただ一番心地が良いのでこうなった、とういう感じです。「肩書き」ではなく「働き」を大切にする2人らしい関係性であり、令和を迎え「働き方」や「人としてのあり方」が今一度問われるこの時代に、意気込まずとも革新的な組織体制を自然に作り出した亮二さんとJDは、そばで見ていてもしなやかで柔軟なかっこいい関係性だと感じます。
亮二さんはチームのムードメーカー兼トラブルメーカーです。
一行前までかっこいいと言っていましたが、こちらも事実なので丁重に記しておきます。そんな亮二さんを象徴するエピソードがあります。それはまだコロナウイルスが深刻化する前の冬のある日。その日、練習時間になってもリンクに姿を見せない亮二さんをチームみんなが心配していました。仕事で練習に遅れることがあっても必ず一報をくれる亮二さんが、連絡もなく練習に来ないということは何か深刻なことが起こってしまってるのではないか。心配したわたしたちは手分けして亮二さんの行方を知っていそうな方に連絡をしていきました。練習開始予定時間から30分ほどが経った時に娘である佳歩と連絡がつきます。
「佳歩、亮二さんの行方知ってる?練習時間になっても連絡つかなくて。」
「あ!大丈夫無事だから!少し前に家を出たからそろそろ着くと思う!」
電話越しの佳歩は、私たちの不安をほぐすかのように笑っていました。
佳歩との電話を切った直後、亮二さんが申し訳なさそうに「すまんすまん〜」とやって来たのでした。
「亮二さん!!どうしたの!?心配したじゃん!!」と私たちが怒っていると、恥ずかしそうに遅刻の理由を述べ始めました。
「実は、コンタクトレンズを買ってつけようとしてたんだ…」
亮二さん(当時60歳)は「ホントのわたしデビュー!」を目指し、ひとり小さなコンタクトレンズと格闘していたのでした。結局ひとりで装着することはできずその場でさっちゃんに助けてもらい無事、「ホントの亮二デビュー!」を果たしたのでした。しかしその日の夜、次はコンタクトレンズをひとりで外すことができず、眼科に出向きレンズをはずしてもらい大人しくメガネで帰って来たのでした。ホントの亮二は結局デビューならずでしたが、
60歳でコンタクトに挑戦したのにはちゃんと理由がありました。メガネでカーリングをするとマスクの影響でレンズが曇ってしまうそうで、練習や試合中にストーンの軌道を見る際に影響してしまうからとのことでした。
亮二さんの真っ直ぐな向上心が引き起こした珍事ですが、今でも定期的に語り継ぐ大好きなエピソードトークとなっています。
そんな素直で好奇心旺盛でムードもトラブルもメークしてくれる亮二さんがめずらしくチームに涙を見せた出来事というのが、今回のコラムのタイトル「亮二さんがカナダの日本居酒屋で号泣した話」です。
2019年春、トロントでのグランドスラムに出場していた私たちはホテルからほど近い日本居酒屋で食事をしていました。その食事中、亮二さんはチームに相談があるといつになく深刻そうに話はじめました。その相談とは「JOCナショナルコーチアカデミーに挑戦してみようと思う」という話でした。JOCナショナルコーチアカデミーとは、スポーツ庁が策定した「スポーツ基本計画」にて中長期的な国際競技力向上計画の一環として行われている事業で、オリンピックで活躍できるアスリートを育成・指導するワールドクラスのコーチ・スタッフの養成を目的としています。約8週にわたる講習や実習、試験をクリアできた人のみが「ナショナルコーチ」として認められ活動することができるというものです。JDコーチもこのJOCナショナルコーチの資格を取得しています。
亮二さんはその「肩書き」のためではなく、日本カーリング界でオリンピックや世界選手権の表彰台への道を経験した数少ないコーチとして、ロコ・ソラーレの枠を超えて日本のカーリング界へ引き継ぐ方法を学びたいとのことでした。
もちろん私たちは大賛成。しかし亮二さんは「8週間という期間はとても長く、家族やチームに迷惑をかけてしまうこと」「そもそも自分にこんなハイレベルなアカデミーをやり切れるのか」「自分は世界クラスのチームコーチとして自信がないこと」など弱音を吐露します。
そんな亮二さんの話を聞き言葉をかけたのがJDでした。
「俺は亮二さんはカーリング界一優れたコーチだと思ってるよ。それはコーチの知識や経験ではなくて、亮二さんの態度と姿勢が本当に素晴らしいと思うから。亮二さんは年齢を重ねた人にも、若い人、選手、コーチ、若いカナダ人の俺にもなんでも分からないことを素直に聞いてくれる。自分が正しいと決めつけず人の話をいつも聞く。歳を重ねると自分が正しいと頑固になり学ぶことをやめる人がいる中、亮二さんはいつも学ぼうとしている。亮二さんは間違いなく良いコーチだから自信を持って。亮二さんなら大丈夫。」
タイトルの通り、亮二、号泣です。
こちらももらい泣きしてしまいそうになりますが、そのムードを打ち消すように日本風居酒屋に轟く「イラッシャイマシィー!!!!」という威勢のよい一生懸命な日本語に私たちは気を取られてしまいます。ムードのアンバランスさが笑いを誘い、泣いてる亮二さんを横目に私たちは大笑い。またも亮二さんはチームに忘れられない出来事を作ってくれたのでした。
その後、亮二さんは紆余曲折ありながらも同じアカデミーを受講した仲間たちに支えられ、無事にナショナルコーチングアカデミーを卒業しました。
わたしたちには2人のコーチががいます。
技術、戦術、心理を導いてくれ、私たちが疑いもしなかった日本スポーツの常識や慣習にフラットで真っ直ぐな疑問を問うてくれるJDと、ロコ・ソラーレとして、日本の社会人として、私たちの言動に問題があった時に真っ直ぐに叱ってくれ、時にチームの誰もが難しい決断を引き受けてくれ、そして誰よりもロコの力を信じてくれる亮二さん。今年も「肩書き」ではなく「働き」を尊重し合い、お互いの存在を大切にしあう2人のコーチと共にロコ・ソラーレは新シーズンを迎えます。
先シーズンまでのユニフォームを脱ぎ、たくさん背負った肩書きやプレッシャーも一緒におろし、今シーズン、新しいユニフォームと共に新しい気持ちで、競技としてもエンターテイメントとしても世界一楽しいパフォーマンスを目指したいと思います。
ちなみに後日談ですが、わたしの夫も令和4年にJOCナショナルコーチアカデミーを受講しました。その時、アカデミー卒業生講和で受講生たちにスピーチをしたのはなんと亮二さんだったのです。
夫と亮二さんが横に並ぶ写真を見て、カナダの日本居酒屋で男泣きした亮二さんを思い出したのでした。写真の亮二さんは笑顔で腕を組んでいて、なんだか頼もしく見えました。