吉田選手 特別インタビュー

吉田知那美(よしだちなみ)
1991年7月26日北海道北見市生まれ。小学校2年時にカーリングを始め、中学時代から日本選手権に出場するなどの実績を残す。2011年に北海道銀行フォルティウスに加入し、2014年ソチ五輪出場を果たす。同年6月からはロコ・ソラーレでプレーし、2016年の世界選手権銀メダル、2018年の平昌五輪銅メダル獲得に貢献した。最近ハマっているのは再読した漫画「バガボンド」で、「高校時代に読んだ時は宮本武蔵が何に悩んでいるかわからなかったけど、大人になって読んで少し武蔵の気持ちがわかった」

吉田選手 特別インタビュー

吉田知那美(よしだちなみ)
1991年7月26日北海道生北見市生まれ。小学校2年時にカーリングを始め、中学時代から日本選手権に出場するなどの実績を残す。2011年に北海道銀行フォルティウスに加入し、2014年ソチ五輪出場を果たす。同年6月からはロコ・ソラーレでプレーし、2016年の世界選手権銀メダル、2018年の平昌五輪銅メダル獲得に貢献した。最近ハマっているのは再読した漫画「バガボンド」で、「高校時代に読んだ時は宮本武蔵が何に悩んでいるかわからなかったけど、大人になって読んで少し武蔵の気持ちがわかった」
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カーリングとの出会い

カーリングは7歳の時にチーム常呂に入ったことがきっかけで始めました。

私が生まれた北見市常呂町では最初からカーリングが盛んだったわけではありませんでした。もともと農家や漁師が生活基盤の方が多く、冬に時間があったため、冬に遊べるアクティビティがないか?ということで小栗裕二さんという方がカナダからカーリングを持ってきたのが、この地でカーリングが盛んになったきっかけでした。

今では学校の授業や学校終わり、また大人たちはお酒を飲みに行く代わりにカーリングに行く、など非常に地域に根差したスポーツになっています。そんな土地で生まれ育ち、母親や姉もカーリングの日本代表だったこともあってチームに入って始めようと決めました。

そこから私は18歳までチームに所属してカーリングをしていたのですが、高校の卒業と同時にチームが解散となりました。高校までずっとカーリングしかやってこなかった人生だったため、チームの解散をきっかけに自分の人生を改めて考え始めました。そして「カーリング以外に自分にできることはないのか?」と思いたって、バンクーバーへ語学留学に行くことになりました。

しかし、語学留学でこれまでとは違う環境に触れることで、自分が育ってきた環境が当たり前じゃないと感じるようになりました。これまで当たり前だと思っていた北見市の豊かな自然やカーリングリンクも世界的に見ても素晴らしいものなのだと初めて認識をしました。

そして、こんな立派なカーリングリンクをこの小さな町で作り上げたということは、まちを挙げての大事業だったと考えるようになりました。最初は海外から輸入した“カーリングごっこ”をしていただけだったのが、みんなが本気で“遊び”、カーリングに対する強い思いをもって事業に取り組んだからこそ、世界的に見ても立派なカーリングリンクができたのだと気づきました。

そういったことに気づき、あらためてカーリングの、北見の魅力を再認識したため、カーリングをやりたいと思い日本へ帰ってきました。そして19歳のときに北海道銀行さんにお声をかけていただいてカーリング選手としてのキャリアをスタートさせることとなりました。

ネッツトヨタ北見との出会い

ソチオリンピックに出場後に北海道銀行と契約が切れることとなり、カーリング選手としての仕事ができなくなったことで一度北見市へ帰ってきました。その時はカーリングをやめようと思い、ハローワークにも通っていました。ただ、本当にやりたいことなのかな?と考えるうちに、チームがなくてもカーリングホールに足を運んでいて、改めて私はカーリングをやりたいのだと感じ、カーリングチームを探し始めました。

そして有難いことにいくつかのチームから声をかけていただいて、その中の一つがロコ・ソラーレでした。改めてどこでカーリングがしたいかを考えて、「本気でカーリングを楽しんでいたところで改めてやりたい」という想いから北見市でやろうと思ってロコ・ソラーレに決めました。

ロコ・ソラーレは二回オリンピックに出場された本橋麻里さんが設立をされました。当時は北海道にカーリング選手を競技者としてサポートし、トップレベルで競技続行できる環境がなく、北海道・北見という地域で生活の基盤を持ちながら選手が活躍できる環境をつくりたいという想いからスタートさせたチームです。

ネッツトヨタ北見は本橋さんからお話をいただき、その時の「北見から世界一になる」という言葉に感銘を受け、スポンサーになったと聞いています。

私も個人として所属先を探していて、ネッツトヨタ北見と契約をさせていただきました。

平昌オリンピックでのメダル獲得

私たちがインタビューを受けた際に、口をそろえて「感謝したい」という言葉を使っていました。これはただの表向きの言葉ではなく、心の底から出てきた言葉でした。

私たちの力が発揮できたのは、「ロコ・ソラーレ」というチームをサポートしてくれる地域の皆さんの力があってこそであって、私たち5人だけがチームではなく、応援してくれるスポンサーさん含めてチームだと思っています。

メダルを取れたのは自分たちをカーリング選手にしてくれた環境があったからこそで、早くメダルの報告をしたいという気持ちでいっぱいでした。

吉田選手にとってのネッツトヨタ北見

私はロコ・ソラーレ所属ではありますが、一社員としてネッツトヨタ北見に所属させていただいていて生活の基盤の軸としてサポートをしてくれています。普通のアスリートの方ですと当たり前のことだと思われる方も多いですが、北見市という地域では地域に根付いた会社が一人のアスリートをサポートするのは簡単な話ではないです。

それでもネッツトヨタ北見さんは気持ちよく応援をしてくれていて、試合の時は応援団を作ってきてくれます。私たちロコ・ソラーレは身近な方々やスポンサーさんから応援をされると力を発揮するチームだからこそ、会社の皆さんが会場に応援に来てくれるので、生活だけでなくカーリング選手としての気持ちの面もサポートしていただいているなと感じます。

初めて2014年にネッツトヨタ北見に来て、「この会社から世界一を目指します」ということを伝えたときに、会長から「一緒に戦います」という言葉をいただいたことをすごく覚えています。これまではスポンサーさんは“サポートをしていただく方々“だと思っていたので、1人じゃないんだという気持ちになりました。

今では会社に帰ってくると、カーリング選手としてではなく1人の「吉田知那美」として受け入れてくれる場所で、家のような原点に返れる場所になっています。

車のディーラーは全国どこでもあって、同じサービスを受けられる中で、重要なのは人だと思っています。何かあった時に相談出来たり、話を聞くことができ、つながりを作ることができる、田舎ならではの強さがあるのがこのネッツトヨタ北見だと思います。

今後の抱負と地域の皆様に一言

カーリング選手としては、世界一になることが目標です。また、自分を応援してくれる北見の地域の人にはネッツトヨタ北見のお客様もいて、私が入社したことでカーリングに興味を持ってくれた方もいます。

だからこそ一選手としてネッツトヨタ北見を全国・世界に知ってもらえるように頑張っていきたいですし、ネッツトヨタ北見のお客様にはこれからもネッツトヨタ北見のファンでもあってほしいなと思います。

ネッツトヨタ北見のサポートに込めた思い

”お客様に車に乗る楽しさを感じていただく”事を目標に、2012年にクラブチーム「ネッツトヨタ北見」を立ち上げました。モータースポーツを好きな人が集う場所を目指し、本格的な競技を行うというよりは、少しでもモータースポーツに親しみたい人が気軽に入会でき、イベントに参加できるモータースポーツに触れる”敷居の低い入り口”となれるチームにしたいと思っています。